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太田清蔵 (4代目) 4代目太田 清蔵(おおた せいぞう、1863年10月1日(文久3年8月19日) - 1946年(昭和21年)4月4日)は日本の実業家、政治家。族籍は福岡県平民〔『人事興信録 第4版上』 人事興信所、1915年、を一〇四頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月12日閲覧。〕。第一徴兵保険(のち東邦生命保険)社長。福岡県多額納税者〔『人事興信録 第13版上』 人事興信所、1941年、オ一八〇頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月12日閲覧。〕。貴族院多額納税者議員、衆議院議員(政友会)。地家主〔。元・自民党衆議院議員の太田誠一は孫。 == 経歴 == 福岡県出身。太田儀平の二男として出生し、先代・太田清蔵の養子となった〔。太田屋は、代々醤油と油との問屋として、博多では旧家に属していた〔『現代業界人物集』 経世社 編、経世社出版部、1935年、81 - 82頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月12日閲覧。〕。商家に育ったため、若い頃には番頭と一所に前垂れを掛けて働いた〔。1880年、家督を相続〔。漢学を修めた〔。 1888年、市町村制が実施されると、福岡市に於ける最初の市会議員に挙げられた〔。また、各種の会社及び銀行重役を務めた。1925年、第一徴兵保険社長に就任〔太田清蔵とは コトバンク。2016年1月12日閲覧。〕。 1908年5月、第10回衆議院議員総選挙に福岡市選挙区から出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた〔『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』141-142頁。〕。また、1925年9月29日、貴族院多額納税者議員に就任し〔『官報』第3931号、大正14年9月30日。〕、1936年9月29日、五私鉄疑獄事件により貴族院議員を除名された〔『官報』第2925号、昭和11年9月30日。『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』112頁。〕。
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